5つの許豆神社を巡る③:南宮

3つめの許豆神社は北宮から、迷路のような町中を抜けて反対側の山の斜面にありました。川沿いのガードレールに小さな看板が出ていて、それに従って住宅の合間を進んでいきます。こういう空間って妙にワクワクしますよね。しない?(;'∀')

今しがた帰省してきたのか、白いワンボックスワゴンの若い夫婦が、なにやら車の中から荷物を持って近くの家に何度も往復していました。若い美人な奥さんに「こんにちは!」と挨拶されて、こちらも挨拶を返します。近所の人に間違われたのかな・・・そんな出で立ちしてないんだけど。そう言えばさっきの稲荷社でも、帰省してきたらしい少年に「こんにちは!」と声をかけられました。挨拶っていいなあ、と思う瞬間です。皆、挨拶しようね!(笑)

南の斜面からも小津の家並みが見下ろせます。赤瓦の向こうに十六島の港。こういう景色を目の当たりにするたびに、赤瓦が持つ機能性以上に情緒的な魅力を実感します。これが全部味気の無い黒い瓦だと、まったく違う景色に見えるはず。

南宮へ向かう道すがら見かけた石碑。「平成元年10月6日」の日付が彫り込まれていますが「出現神霊」とはなんぞや。この日にここに何か現れたのでしょうかね。気になる・・・。

謎の石碑に後ろ髪を惹かれながら境内へ。うっかり正面からの写真を撮りそびれましたが、こちらも鳥居に神額はなかった気がします。よく見ると貫(ぬき)の部分(上から二本目の横棒です)に、楔(くさび)があるんですが、木造ならいざしらず、石の鳥居の場合は機能的な意味合いってあるんでしょうか? 単なる装飾なんでしょうかね。この写真の真向かいに、小さく北宮の鳥居が写っています。

拝殿まではスグ。これまでの2つの社よりも小さい建物でした。

拝殿の上のほうには、お参りに際に唱える祓詞が親切に掲げてありました。

 掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
 御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等
 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ
 清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す

これソラで言えたらカッコいいですよね・・・もちろん僕は言えません(笑) 意味合いとしては「伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)が、死者が住む黄泉国を訪れためにその身を穢してしまったため、筑紫の国、日向の橘にある小戸の億原という浜辺の水で、身を清め禊をした際に生まれた祓戸の大神たちの御神徳によって、私達の犯した罪や心身の穢を祓い清めて下さいと申し上げることを、お聞き下さい」ということのようです。なので、せめて拝むときにこのストーリーを頭に思い浮かべながら拝みましょう(笑)

左半分はこのお社オリジナルの祓詞のようで(ここは「大宮許豆神社」と呼ばれているようですね)、文章の調子から察するに時代的に新しい感じがします。"天皇を仰ぎ奉り"とかいうワードがあったりしますが、いつ頃出来たものなんでしょう。

北斜面にあるために薄暗い境内には、こちらも稲荷社がありました。

本殿はこちらも大社造り。屋根とかを見ると最近葺き替えたのか比較的新しいですね。

狛犬。襟元の緑がお洒落ざんす。

あらためて鳥居ごしに北宮を臨む。"守られてる"感ハンパないですね。

そうそう、忘れてました。ここの祭神は志那津毘古命(シナツヒコノミコト)と志那津毘女命 (シナツヒメノミコト)の2柱。古事記においては、シナツヒコはイザナギとイザナミの間に生まれた風の神様。シナツヒメに関しては日本書紀で、イザナミが朝霧を吹き払った息から生まれた級長戸辺命(シナトベノミコト)という神様のことだとも言われていて、シナツヒコの姉だとか妻だとか、なんなら実は二人でひとつのバロムワンみたいな存在のようにも書かれております。まあ、この界隈、諸説ありすぎてわけわかりませんが、自分の感覚にピンとくるものを大事にしておきましょう。

さて、お次へ参ります。(5つの許豆神社を巡る④:恵比須社・灘社へ続く)

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