5つの許豆神社を巡る④:恵比須社・灘社

南宮からさらに歩いて数分の場所に、目指す4つめの許豆神社があるということでナビを頼りに進んでいきます。「灘社」ということなので、海辺に面した場所にあるのかと思いきや、なんとお墓を見下ろす丘の上にそれはありました。

白い鳥居を目印に進んでいくと、「恵比須神社」と掲げられているのが目に入ります。今回訪ねた5つのお宮の中で、唯一ここだけ「許豆神社」の片鱗がうかがえませんでした。恵比須さんについては、神様界のメジャーチーム・七福神の一員で福の神として名高いことは語るまでもないですが、あの7人の中で唯一、日本古来の神様なんですよね。F1で言うなら80年代の中島悟、K-POPで言うならTWICEのミサモみたいなポジション(分かる人にしか分からない例えになってますが)。さらに小脇に抱えた鯛に象徴されるように、彼は古くから漁業の神様でもあるのですな。故にこの場所に恵比須さん、というのはガテンがいきます。「商売繁盛笹持ってこい」とかいうのは、どっちかというと後付けストーリーってわけですね。

あ、肝心なメインの祠を撮りそびれていたようです(-_-;)。上の写真の奥に見えるので、それでカンベンしてください。そびれた理由はこちら。傍らにこれでもかと札の立っていた「塩の権現」のせいです。

由来を見る限り、塩というよりは"潮"の権現というほうが近い感じがしますね。祀られている祭神、塩椎神(シオツチノカミ)も"塩"表記ですが、もともと「シホツチ」は"潮つ霊"、"潮つ路"を指していて、解説にもあるように潮流を司る神、航海の神だそうなので。海彦・山彦の話は小さい頃に聞いたきりでほぼ覚えてませんが、そんな爺さん出てきてたかなあ・・・などと思いながらも、神代の頃から続く地域のしきたりに感動したりするのでありました。忌明けの儀式といえば、僕の住むエリアでも、近くの山から笹竹を持ってきて、大橋川や宍道湖の水に浸して体を払う、なんていうことをやってますね。皆さんのとこではどうですか?

そしてこのご神体が、古墳の石棺の一部だったりするのにも驚きです。昔の人は、山肌から出てきた6世紀頃の石棺を見て「おお、これは神代の時代のもの!」とか思ったんでしょうかね。お墓のパーツがご神体になっている、というのも実に面白い。

ほんでもって結局、恵比須イコール塩椎神なのかというと、そうでもないようで、いろんな地の神様が紆余曲折あって、こういう形にフュージョンしていってるんでしょうな。

てなことを妄想しながら振り返ると、そこにはしょっぱい海の波ではなく、メガソーラーの波がうねっておりました。昔の航空写真を見てみると、手前の道路の向こうはすぐに浜になっていて、ここが忌明けの儀式の場所になったことも容易に想像できて、まさに"灘社"だったなだなあと思いますが、今では潮騒も遠く、なんか切ない気分になりますね。恵比須さんも、塩椎神も寂しがってるんじゃなかろうか。

と、センチメンタルな気持ちになったところで、いよいよ最後の許豆神社へと向かいます。ああ、疲れたぞ・・・。(5つの許豆神社を巡る⑤:無印へ続く)

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