リアルタイムでの放送が1981年だそうなので、僕は12歳。小学生から中学生へ向かう、まだまだ能天気でやんちゃで思慮の浅いクソガキでしたが、なぜか999は欠かさず見てました。
特別、カッコいいロボットが出てくるわけでも、勧善懲悪なスカッとストーリーでも無いのに、よくも退屈もせずに見ていられたもんですが、クソガキながら、登場人物の生き様や彼らを取り巻く理不尽な世界のルールやらに、何か心の奥底で感じるものがあったのだと思います。とはいえ他のヒーロー番組みたいに、「なぁなぁ、昨日の見た!?」とか、翌日に学校で友達と盛り上がるような番組でもなかったのは確かです(笑)
ただ、今この歳になって見返すことで、あの頃、見続けていた理由がなんとなく整理できるような気がするので、あれから40年・・・親父、再びアンドロメダへの旅に出ることにしました。
■長生きはしたい、けど
あの頃の僕は、夜、眠る時に布団の中で「このまま死んでしまったら、どうなるのかな」なんてことを時折、考えることがあったのを思い出した。理由は分からないけど、親や友達に会えなくなるのはイヤだとか、まだやりたいことがあるのに、とか、真っ暗な天井を見ていると、景色がグルグルし出して、気付いたら朝を迎えてた、なんてことが度々。当然、目が覚めた時にはもう忘れてしまって、ただの能天気なガキに戻ってましたけど(笑)
999は、永遠に生きることの出来る機械の体を手に入れた富裕層と、その対極にある生身の体を持つ貧困層との対比が鮮明に描かれている物語。人々はこぞって機械の体を手に入れて、永遠に生きることが幸せの象徴になっている世界。
鉄郎とその母も機械の体を求めてメガロポリスへ向かいますが、その道中に母は機械伯爵に命を奪われ、鉄郎はただ一人、吹雪の中彷徨って行き倒れてしまいます。薄れる意識の中で、鉄郎がつぶやくセリフがあります。
「・・・何て酷い雪だ・・・息も出来ない。手も足もかじかんでもう動けない・・・
だんだん眠くなって来た。・・・ごめんよ母さん・・・機械なら動けるのに、人間って不便だね。
今度生まれて来る時は、初めっから機械の体に・・・生まれて・・・くる・・・僕は」
人間は不便。確かにそうですね。歳を取れば体にはガタがくるし、物忘れも激しいし、ちょっと油断をすると事故やケガでエラい目にあって、病気でもすればますます・・・。
でも、今なら言えることがあります。命は限りあるものだと分かっているからこそ、人は一瞬一秒を大切に生きようと思えるのだということ(まあ、その価値感には個人差があるでしょうが)。僕なんぞは長生きなんかしたら、目も当てられないグウタラ人間になってますね。
ある意味、人は生まれた時から"終活"が始まっていて、だからこそ輝けるんだと思えます。若いからこそできることを、若いうちに挑戦し、歳をくったからこそできることを、歳をとってから楽しむ。そうやって生きていくのが一番幸せだと思います。
ただ、あの頃は無性に長生きしたかった(笑) 鉄郎への強いシンパシーが、なんとなく見続けた要因のひとつだったんじゃなかろうかと、今は思います。
復讐のため館を襲撃した鉄郎に「脳だけは撃たないでくれ」と命乞いする機械伯爵。心臓ではなくて脳なんですよね。機械化人間になると、一番大事な部位も変わってしまう。心臓はあくまでも動力源であって、人としての存在理由は脳にあるのかな、とか、ではココロは脳にあるのか心臓にあるのか、とか、いろいろヘンなことを考えてしまいますな。
■僕もメーテルを待っていた
「私も一緒に連れて行って欲しいの」そんな事をこんな人に言われたら、謎だらけだろうが、怪しかろうが、二つ返事でOKしてしまいます(笑)
とにかく、メーテルというキャラクターが居た事が、僕の視聴継続の原動力の大きな部分を占めていたことは間違いない!(;'∀') そういうオッサンは世の中にたくさんいただろうから、公言するのは恥ずかしくもないぞ! 自分の前にもいつかメーテルが来てくれやしないかと、今もまだ思ってます! メーテルと二人で行く銀河鉄道の旅♪
第1話の時点では、どうして鉄郎のことを知っているのか、何故多くの人間の中から鉄郎が選ばれたのか、なぜ一緒に999に乗るのか、シャワールームで会話してた謎の男は何者か・・・と謎だらけのメーテル。そんなうさん臭さも、サービスショットで掻き消えます(笑)
森雪とどこが違うのか、とか言われたら身も蓋もないですが、こっちもヤマトの頃よりはマセガキになってますしね。演じていた池田昌子さんの声にも魅かれてたんでしょう(池田さんご本人も清楚な方!)。
池田さんと言えば、最新の『ドクターX』シーズン6で、AIの声をされておりました。まだまだお元気のようでなにより!(やっぱ"失敗しない"大門おもしろい)
どうせならルックスもメーテルっぽくしたらいいのに(笑)
■物語を彩る音楽
そして毎回のドラマの要所要所で流れる音楽もまた、無意識のうちに感受性のメーターに影響を与えくれてたんだなあと思います。平尾昌晃さんによるOP曲・ED曲は言わずもがなですが、それをひっくるめた青木望さんの楽曲の数々は、今聞いても胸に響きますね。女性スキャットを効果的に使ったり、バイオリンの音色を重視したメロディは、ヤマトの時もそうですが、なんだか松本零士の描く宇宙の世界にピタリとはまります。
第1話では、母親と死別するシーンに流れる曲は最高に感情を煽り立ててくれますよ。
■エンディングナレーション
TV版999の魅力として最後に上げるべきは、やはり高木均さんによるナレーションじゃなかろうか。漫画版ではテキストで羊皮紙に書かれた演出がされる部分。贅沢に長めの尺を使って語られるそのナレーションは、時にその回の物語の核心となる人の心理を問いかけ、時に登場人物や次の星へ向かう鉄郎の未来へ思いを馳せるもので、なんとも言えない余韻を視聴後に残してくれました。
第1話は、機械の体を手に入れるという強い意志を持って鉄郎を乗せ、地球を後にする999をバックにこんなナレーションが流れます。
鉄郎を乗せた銀河超特急999は、その無限軌道に載って走り始めた。
どんな星を訪ね、どんな所へ行って、どんな姿になってここへ帰ってくるのか
鉄郎には分からない。
銀河鉄道の延びていく彼方には、無限の星の輝く海が広がっているだけだ。
壮大なスペースロードムービーの幕開けに相応しいナレーションですよね。
下は999の車窓から見下ろしたメガロポリスの夜景。光のあるところは機械化人間の住むエリア、そうでない真っ暗な場所が生身の人間たちの暮らすエリア。「きれいだなー!」と無邪気に言う鉄郎に「この景色をよく見ておくことね。・・・今度見る時は人間の目で見られないかもしれないわ」と話すメーテル。その言葉の重みを今ドキリとして聴きます。
■次回予告ナレーション
第2話「火星の赤い風」
そこには絶えず物憂げな赤い風が吹きすさんでいた。
虚しい今日に飽きたジェロニモは、明日へ向かって許されざる引鉄を引いた。
しかしその時、彼は遥か昔に失った昨日の自分を見たのだ。
次回の『銀河鉄道999』は「火星の赤い風」に、停まります。
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