土曜日のタイガのお時間です。
今回の第6話「円盤が来ない」は、予備知識ゼロで見ていたんですけども「なんだか地味~な展開の回だなぁ」と思ってたら、相当にマニアックな回だったんですね。最後のシーンに出てきたペロリンガ星人(TOP画像)は知っていたので、「?」と思って色々調べたら理解しました。
■51年ぶりの続編だと!?
劇中で円盤が来るのを待っていた男(=ペロリンガ星人)は終始、人間体としての登場しかないのですが、実は彼、1968年に放送された『ウルトラセブン』第45話に出てきたペロリンガ星人という設定。(第45話のタイトル「円盤が来た!」を知っている人なら、今回のタイトルで分かってたと思いますが・・・(;´Д`A ```)
そして演じているオジサンも、当時、ペロリンガ星人の人間体を演じていた高野浩幸さんご本人だそうです。なんちゅうこだわり(;'∀')
それだけではありません。劇中の随所にオマージュが散りばめられていました。ラストシーンで登場する円盤も「懐かしい形の円盤だ」とオジサンが言うように、セブン登場時のペロリンガ星人の円盤のようですし、
「蕎麦」「天体望遠鏡」「自転車」は、それぞれ両方に共通するモチーフだったりします。カットも冒頭の天体望遠鏡を覗くシーン(上段)や、多摩川土手のシーン(中段)などにオマージュを感じますし、なによりオジサンが来ている服は、昔、彼が出会ったフクシン君の来ていた服と同じ(下段・長袖だけど)! 細かい! セリフなど、まだまだ細かいネタがありそうですが、当時の映像を確認できないので、これが限界。 ※これらの情報及び「円盤が来た」のストーリーは『ULTRA SEVEN CRAZY FAN BOOK』さんの情報・画像を参考にさせていただきました。丁寧にまとめられた情報のおかげです! この場を借りてお礼申し上げます。
まるで『ウルトラマンメビウス』のストーリーのひとつかと見まごうばかりの、完璧な続編でございました。(結局「宇宙に連れていってあげる」って言ってたのに、フクシン君がウダウダしてて50年経っちゃったってことなのかな?)
■一方のヒール役もペロリンガ繋がり
さらに今回は敵役のほうもペロリンガ繋がりのガピヤ星人アベル。"時空を股にかける宇宙のヒットマン"だそうです。ちょっと"時空を股に~"のとこが気になるけど、まあそれは置いといて。
こちらも個人的には初見だったんですが「兄貴がウルトラマン一族に殺された」的なことを言うので気になって調べてみたら、お兄様サデスはこちらにご登場されていたそうで。
この映画、まだネットで無料で観れないので観てません。お兄様は赤パーツ+緑の目なんですね。ちなみにアベルのほうも、巨大化シーンで似たようなアングルがw
お兄様はオーブによって負傷した所を救われ、サイボーグ化されてあの恰好になってるんですが、弟も同じ格好なのはなんで?と思ったら、兄への憧れで自分でサイボーグ化したという設定らしいです(笑)
で、こいつがなぜペロリンガ繋がりなのかというと、体の模様を見てもらうとペロリンガと同じような渦巻き模様が見えますね。もともとペロリンガ星人をモチーフにしてデザインされたようなんです。名前の"ガピヤ星人"もペロリンガ星人の初期の設定"ピニヤ"を捩ってるのだとか。
おネエ系な立ち居振る舞いで、トレギアにもキモがられてましたな・・・。
今回はトレギアさん、あまり出番が無かったのですが、タイガが怪獣指輪を使うのを見て「そうだ。いいぞ。使える力は遠慮なく使うがいい」と呟いてましたね。どんな狙いがあるのやら。ちなみに今回食ってたのはクルミ。ジャーキーからのタピオカからのクルミ。こっちも予測不能なチョイス。
■タイタスが好きになってきた
連動するボイスドラマでは、U40時代のハードなエピソードが展開されているタイタスの旦那(ボイスドラマも『ザ・ウルトラマン』のクライマックスと時系列がリンクしてて、なかなか面白いです)。
今回は、アベルのレールガン?をことごとく弾き飛ばし、なんなら尻でも弾き飛ばし、圧倒的なマッスルを披露しておりました。ピリカちゃんの合いの手もパターン化するのでしょうか。
最後はフーマの残像に惑わされた隙に、奪われた剣で返り討ちにあったアベル。"ヴィクトリーレット"の必殺技で、真っ二つにカチ割られちゃった最期は奇しくも兄貴と同じ?(観てないからあくまでネット情報ですけど)
■宇宙人たちも共存できる世界
今回のエピソードはE.G.I.S.社長のカナが主役でした。その昔、公安に居た彼女が目の当たりにした宇宙人への非人道的な扱い。その時に成すすべもなかった自分への後悔が、彼女のE.G.I.S.立ち上げの動機なんですね。
今、巷にはびこるヘイト問題へのウルトラマンなりの回答がそこにあるような気がします。50年間、誰もまともに自分と向き合ってくれなかったと嘆くオジサンが、カナという一人の人間と触れ合うことで、地球という場所に微かな希望を見出すというストーリーは、星(国)を越えて、個々で向き合うことこそが、多文化社会へのもっとも確かな道なのかもしれないと感じさせてくれるものでした。
僕の身の回りにも、多文化社会、国籍を超えた多様な人たちが共に安心して暮らせる社会を創り出すために頑張っている人たちがいます。地味だけど、きっとこれからの地球には欠かせない役割の人たち。1人でも多くの人に、この世界にもう少しだけ期待してみたくなる、そんな瞬間を与えてあげられるようなこと、僕自身もやってみたいですね。
▲このシーンもちょっとセブンの最終回を思い出しました。
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